沿線お役立ちコラム

【中編】150年の歴史 神戸リガッタアンドアスレチック倶楽部

クラブハウスの施設紹介(続き)

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3F体育館

クラブハウスでできるスポーツ

写真はクラブハウスに隣接するKR&AC専用テニスコート

<KR&ACテニスアカデミー>(非会員参加OK)

現在会員数は120〜130名。
下は4歳から上は80歳以上の幅広い年齢層の方が参加しています。
レッスンは日本語で行われます。

<英語ヨガレッスン>(非会員参加OK)
毎週土日12:30〜14:00までの少人数レッスン。
ヨガ歴15年のデイビッドさんによる英語での講習会です。

倶楽部の会員は、クラブハウス3Fの体育館とテニスコート、磯上公園運動場を使って上記のようなスポーツを気軽に楽しんでいるそうです。

かつては全国の様々なスポーツクラブやチームと他流試合を行っていたKR&ACですが、会員数の減少と高齢化により、今ではがっつりスポーツに打ち込むというよりも気軽なスポーツ同好会へと移行しつつあるそうです。

交流試合

写真はKR&ACの紹介パンフレット

<タッチラグビー大会>
タッチラグビーとは、タックル、スクラム、ラインアウト等激しいコンタクトプレーをなくし、タックルをタッチに置き換えたソフトなラグビー競技。
KR&AC主催により、毎年春と秋に神戸市内、京都、大阪、遠くは四国や広島などから8〜10チームが参加しているそうです。

<YC&ACとの交流>
KR&ACとほぼ同様の歴史を持つ「横浜カントリーアンドアスレチッククラブ(YC&AC)」というスポーツクラブが横浜市に存在します。
同クラブは1868年に「横浜クリケット・クラブ」としてKR&AC同様スコットランド人であるジェームス・ペンダー・モリソンを中心に創設され、1888年にKR&ACとはじめてのインターポートマッチ(サッカーの対抗試合)を行いました。
1912年に名称をYC&ACに改め、現在に至るまでKR&ACとの交流が続いています。

KR&ACが協力しているスポーツ活動

 

<HAT神戸レガッタ>
HAT神戸ボートコース設立実行委員会により、HAT神戸水域にボート競技のコース開設を目指して2013年から活動。毎年10月に市民参加によるボート競技大会「HAT神戸レガッタ」、月2回ボート教室を開催しています。(レガッタ:漕艇、帆走、ヨットなどの競技大会を指す言葉)
詳細・問合先:HAT神戸ボートコース設立実行委員会
HP:https://hat-kobe-rowing.jimdo.com/

<関西ハイランドゲームズ> 
ハイランドゲームズとは、もとを辿れば14世紀初頭に英国スコットランドのハイランド地方で始まった、村の力自慢たちによる運動会だとか。これにスコティッシュダンス、バクパイプ演奏、屋台などが加わり、スコットランド全土の各市町村で年に一度開催されるようになりました。このスコットランドに伝わる伝統行事は今ではアメリカやカナダをはじめとした世界各国のスコットランド系移民の間でも開催されています。そのうちの一つが関西ハイランドゲームズとなって神戸にも根を下ろしました。
関西ハイランドゲームズ協会は1989年に発足した団体。元々神戸市須磨区にある総合運動公園で大会を開催していましたが、KR&ACの招待により(シムさんはスコットランド出身)現在は三宮の磯上公園で毎年4月に行われています。競技にはスコットランドの伝統舞踊ハイランドダンス、バグパイプ演奏、綱引き、対戦相手と向き合って丸太に座り、枕で相手を丸太から落とす枕たたき、長靴飛ばし、また卵に見立てたゴルフボールをスプーンに乗せて落とさないように競争するスプーンレース、お盆の上に水のボトルを乗せてウェイターのように運ぶウェイター競争などのユニークな種目が。
詳細・問合先:関西ハイランドゲームズ協会
HP:http://www.sin-cos-group.com/khg/

<シム記念摩耶登山マラソン>
灘区役所まちづくり課の摩耶登山マラソン実行委員会主催によるマラソン大会。毎年12月の第1土曜日に開催され、10kmのロングコース、3kmのショートコース、家族やチームで走る3kmのわくわくチームランコースがあります。灘区では震災以来住民の手による摩耶山を軸とした街の活性化運動が盛んに行われています。KR&ACもこのマラソン大会の主催者に名を連ねており、マネージャーの東さんも副委員長として大会の運営に参加しているそうです。登山道を利用した相当ハードなマラソンですが、参加者の皆さん、思いの外ハイスピードでゴールされるとか。
詳細・問合先:2018年第6回シム記念・摩耶登山マラソン大会
HP:http://www.hashiru-do.jp/sim-memorial/

神戸外国人居留地の世話役として活躍したアレキサンダー・キャメロン・シム

前列右端がシムさん(1885年撮影)

ここでKR&ACの創設メンバーであるシムさんについてご紹介。

スコットランド出身のアレキサンダー・キャメロン・シム(A.C.シム)さんは科学者、薬剤師を生業としていました。

1870年に30歳にして神戸外国人居留地へやってきたシムさんは、18番地にACシム商会を設立、薬品の輸入販売の他、日本で初めてラムネを販売しました。

当時、日本ではコレラが流行しており、東京毎日新聞が、炭酸水を飲むとコレラの予防になると書いたため、ラムネは大いに売れたそうです。

スポーツ選手としても活躍していたシムさんは、1870年神戸リガッタアンドアスレチック倶楽部の創設メンバーとなり、陸上やボート競技、マラソンなどのスポーツの神戸における普及・振興に大いに活躍、倶楽部は日本における近代スポーツ発祥の拠点となりました。

また、シムさんはボランティア活動にも熱心に取り組み、居留地内に率先して義勇消防隊を編成しその隊長を長年勤めました。

公園内に設けられた火の見櫓に登り、就寝時は必ず手元に消防服とヘルメット、手斧を置いていました。

日本各地で自然災害が発生した際には、自らも大金を寄付するとともに義援金集めに奔走し、被災地に赴いて食料や衣料の配給を行いました。

こうして約30年間に渡り神戸居留地、ひいては神戸やその他の地域のために尽力したシムさん。

1899年の居留地返還の際には居留地会議の副議長として、病気欠席した議長の代わりに引き継ぎ目録と引き継ぎ書への調印・署名に立ち会い、翌年1900年腸チフスにより神戸で亡くなりました。

シムさんは現在、再度山にある神戸市立外国人墓地から神戸に暮らす私達を見守っています。

A.C.シム記念碑

そんなシムさんの貢献を記念して東遊園地の一隅、旧神戸リガッタアンドアスレチック倶楽部のクラブハウス跡地前にシムさんの業績を称える記念碑が立っています。

シム記念碑の傍らに植えられたジャカランタの花が満開でした。

【後編に続く】

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