おうち訪問気分が楽しいカフェ

邸宅カフェブームの頃、まっさきにできた「喫茶 ブラジル」。
おうち訪問気分が楽しくて、訪ねると知り合いのおうちに招かれたようなくつろぎがあって。
地元のミセスがすぐに気に入り、絶好のおしゃべりの場として人気を博しました。
また、近隣校の先生方が休憩に訪れるなど、平日は朝から夕方まで賑わいを見せていたのを、子どもだった私もよく覚えています。
また、土曜、日曜はデートするカップルが多かったこと。
その頃はスタバや星乃珈琲店のようなチェーン店がなく、喫茶店全盛期。
そのなかでも、駐車場があるのでドライブの合間にはぴったりだったし、サンドイッチやケーキもあるから小腹も満たしてくれて、かつ、おうちの応接間のような間取りで上品なマダムのおもてなしを受けると、彼女のおうちに招かれたような心地よい緊張感もあって、恋人の心をくすぐったのでしょう。
当時は、この店の周辺にも自宅の蔵を改造したフレンチレストランや一軒家カフェなどもあり、まさにザ・昭和でしたが、次々と姿を消していき…そのなか、純喫茶が今も健在なのは、町の誇りだと思います。
特に、夏になると行きたくなるんです。
本格派のコーヒーゼリーが食べたくなるのも理由のひとつですが、それよりなにより、夏の定番ラジオ体操が流れると思い出すんです、「ブラジル」を。
今も昔と変わらずマダム洋子さんがお出迎え

昔から変わらず、ずっと看板娘なのが古賀洋子さん。
東京から嫁いできたおうちがコーヒー豆の卸会社を経営していました。
3人の子育てが落ち着いた昭和53年に、夫婦で創業したのがこのお店です。
今は場所が天満橋から東住吉に変わりましたが、会社は健在。
そこで焙煎した豆を使った喫茶メニューを出し、豆の販売もしているスタイルは昔から変わらずです。
そして今の時代では珍しく喫煙ができるのも昔から同じ。
全席ではなく分煙ですが「やっぱりコーヒー飲む時にたばこも吸いたい方はいらっしゃるので」と微笑むマダム。コーヒーの香りとたばこの香りのマリアージュ。
久しぶりに嗅いだ私は懐かしの時代にタイムトリップしちゃいそうでした。
あ、ひとつだけ変化が。
検索の際に知ったのですが、店名が「喫茶 ブラジル」ではなく「ガーデンカフェ ブラジル」に変わっていました。
厚くて心地よい重さのメニューをワクワクしながら開こう

テーブルにつくと運ばれてくるメニューブック。
今主流のチェーン店では、カウンターにめちゃくちゃたくさん並んだメニュー名に圧倒されつつ、後ろに並んでいる人が気になって結局、本日のコーヒーを選ぶはめになる昭和な私は「そうそうメニューはこうでなきゃ」と声を大にして言いたくなります。
メニューを開くと、コーヒーはブレンド、アメリカン、フレンチ、炭焼、アイスコーヒーという安定の定番に次いで、有機栽培のブラジルやコロンビア、モカ、キリマンジャロ、マンデリンとこだわり産地豆が並んでいます。
価格はさすがに変動していますが、メニュー表はほとんど昔と同じなんだそう。
朝9:00~11:00のモーニングでは、コーヒーの料金のみでトースト付き。
朝昼問わず、小腹が空いた人はサンドイッチ、ピザ、トースト系をオーダー。
ミックスサンドが変わらず人気No.1だそう。
私の喫茶店コーヒーゼリーデビューはここでした

その日の気分で選んだコーヒーとともに、オーダーしたい私のお気に入りはコーヒーゼリー。
まず、その姿が麗しいのです。
白いレース柄のコースターが敷かれた白磁のお皿。その上に置かれたガラスのゼリーグラスに盛られています。
丁寧に抽出したアイスコーヒーをゼラチンで固めた自家製のゼリーにアイスクリームが添えられて登場。
ゼリーを口に入れるとトゥルンと口当たりが優しくて、しっかりコーヒーのよい香りが口中に広がるオトナのデザートなんですよね。
ここで大学生の時に初めて食べた時の衝撃が今も忘れられません。
違いがわかる若者いるんだ!と嬉しくなりました

隣のテーブルには若い男性が2人、慣れた様子でくつろいでいます。
大学生の常連さんなんだそう。
部活の帰りのスポーツ青年のようでしたので「実はね、マダムのお父さん、あのラジオ体操を考案した人なんですよ」と話しかけてしまいました。
「え?マジ?すご」「あのラジオ体操?」と2人ともびっくり!
マダムのお父様である、大谷武一さんは日本体育の父と呼ばれる方。兵庫県加西市の出身で、教員を目指して姫路師範学校(今の神戸大学)に進学。
そこでスポーツに関して探究心を募らせていかれたようです。
そして当時、東京高等師範学校(今の筑波大学)の校長だった嘉納治五郎氏の柔道とスポーツをテーマにした講演会に心動かされ、一度は小学校の教師になったけれど、21歳で東京高等師範学校に入学し直したという努力家です。
専攻は文科兼修体操専修科。嘉納氏が設置した学科で、専門的な体操教員を養成するための学科だといいます。
そして東京高等師範学校を卒業後は、研究科に進み、附属中学校の体操の教授に。
30歳でアメリカに留学して最新の体育研究を学ぶとともに、ヨーロッパ各国のスポーツを視察してこられたそうです。
帰国後、ソフトボール、ハンドボールといった球技を日本に紹介したのが大谷武一さんなんです。
我が家の娘、息子はソフトボール、ハンドボールを部活で楽しみましたが、大谷さんのおかげだったんですね。
ラジオ体操の誕生物語を思い浮かべてイチ、ニ、サン

ご自身の留学経験から「体育運動とは老若男女、体の弱い者も技術が下手な者もすべての人が楽しく行えるものでなければならない」というのが信条になった大谷さん。当時、アメリカに浸透し始めた健康体操を手本に、大谷さんを含む7人で、初代ラジオ体操を考案されたそうです。
洋子さんが幼かった頃、自宅の続きに体育館があって、そこで書生さんたちにいろんな指導をされていたのを覚えているそうです。
そのなかにラジオ体操もあったはず…。即、朝ドラの題材になりそうな人物像が頭の中で膨らんでいきます。
検索すると、それまでデッドボールと呼ばれていた球技をドッジボールに改名し、学校体育で普及させたのも大谷氏だとする情報もあり、興奮しましたが、マダムいわく「それは存じませんから、なんとも言えません」とのこと。ただ、日本体育の父と言っても過言ではないほど、数多くの功績を残した偉大な方です。
兵庫県が発行し、神戸新聞総合出版センターが発売していた「ニューひょうご ごこく」という広報誌でも以前、大谷さんの特集が組まれていたそうで、参考にさせていただきました。
さあ、今年の夏は紹介したエピソードを頭の片隅に置いて、ちょっぴり早起きをしてラジオ体操をしてみてくださいね。
ガーデンカフェ ブラジル 店舗情報

住所:西宮市甲子園五番町17-19
電話:0798-49-3320
アクセス:阪神甲子園駅 徒歩約7分
定休日:金曜
営業時間:9:00~17:00






