沿線お役立ちコラム

【前編】さよなら海王丸@神戸港第一突堤

船員養成学校発祥の地、神戸

写真:第一突堤の近くにある海軍操練所跡の碑

 

神戸在住のチアフルライター、やまさんです。

今回は前々から書きたかった船のことについてお話ししようと思います。

 

1854年、日米和親条約締結による開国を期に、日本は国防のためいち早く西洋船の操船技能を持った船員を育成しようとしました。その先駆けとなったのが、1855年の長崎海軍伝習所、1857年の江戸軍艦教授所に次いで、1864年に勝海舟が神戸に開いた海軍操練所です。塾生には坂本竜馬や後の外務大臣陸奥宗光などがいました。神戸港は1858年の安政五カ国条約により、いち早く海外への門戸を開いた5つの港(函館・横浜・新潟・神戸・長崎)のうちの一つですが、同時に近代船員養成学校発祥の地のひとつでもあるのです。

 

その後日本各地に船員養成学校が創設されました。阪神間においても1917年に私立川崎商船学校(後に神戸高等商船学校、神戸商船大学へと変遷をたどった末現在は神戸大学海事科学部および芦屋海技大学校へ統合)が作られ、多くの船乗りを大海原へと送り出しました。戦後に興った造船ブームを経て、今もなお外航船(外国航路を走る船)や内航船(国内航路を走る船)の船員を養成するための船員養成学校が日本各地に存在します。そんな学校で学ぶ学生のための航海訓練船として海技教育機構に所属する練習船が5隻あり、うち2隻が帆船「日本丸」「海王丸」、残りの3隻が汽船「銀河丸」「大成丸」「青雲丸」です。

自然は人間の都合に合わせてくれない

この10月中旬、やまさんの好きな海王丸が今年最後の神戸入港だと知り、急いで第一突堤へ向かい、その出航の様子を見てきました。え、入港じゃなくて出航?と思われた方、そうなんです。台風接近のため海王丸の入港予定日が1週間近く前倒しになっていたのです。さる情報筋からすでに入港済みだと知らされ、なんとか出航の様子を見ることができたのでした。

 

入港の様子は以前に見ていましたが、出航を見るのは今回が初めて。出航時間は14:00。午後1時過ぎに第一突堤に到着すると、港には陸上で船の離岸作業を補佐する早駒運輸の作業員、神戸港湾局の見送りスタッフ、カメラを構えた船マニアの面々がすでにスタンバっており、船上では波方海上技術短期大学校および宮古海上技術短期大学校の実習生たちにより着々と出航準備が進められていました。この日ははるばる大阪の保育園から海王丸の見学に訪れていた園児たちもいて、船出の様子を見守っていました。

海王丸ってこんな船

「海の貴婦人」とも讃えられるほどの美貌を誇る海王丸。帆船は風の力を利用して進む船ですが、海王丸にはエンジンが付いており、そのどちらを利用して航行することも可能です。海王丸は日本丸と並んで大型帆船としての速力を誇っており、その年に最も帆走速力を出した帆船に贈られるボストン・ティーポットトロフィーを3度も受賞しています。

 

船首には「紺青(こんじょう)」という名の女神像が。この女神像は帆船日本丸に取り付けられた女神像「藍青(らんじょう)」の妹。両手に能管という笛を持ち、嵐を鎮める楽(がく)の音を奏でているのだそうです。

実はこの海王丸は二世にあたります。一世は1930年の進水以来59年間に渡り多くの船乗りを育ててきましたが1989年に引退。同年、一世に代わり二世が就航しました。遥か昔に海王丸のことを知ったやまさんはいつかこの目で見てみたいと思っていたのですが、その願いが神戸に引っ越してきて初めて叶いました。

写真:海王丸の女神「紺青」

港で働く頼もしい助っ人、タグボートたち

ほどなくして今回海王丸を牽引する2隻のタグボート「菊星丸」、遅れて「日陽丸」がやってきました。船舶は構造上後退することができません。さらに帆船は港内で帆を張ることができず(帆を張ると風に煽られて他の船と接触する恐れがあるため)、さらに海王丸には船が離着岸するためのサイドスラスター(横移動するためのプロペラ)も無いため、タグボートの助けを借りて入港・出航する必要があるのです。

 

タグボートはその小さな体に似合わぬ力持ち。貨物を満載した大型船を押したり引っ張ったり、またエンジンを持たないバージ船(重い貨物を運ぶための船、艀)を2隻まとめて牽引したり、さらには大型船が他の船と接触しないよう、入出港時にエスコートしたりと八面六臂の大活躍をしています。

写真:日陽丸、奥に見えるのは第三突堤で出港を待つ宮崎カーフェリー

 

後編へ続く