沿線お役立ちコラム

さよなら、ありがとう赤胴車【前編】

現役最古の急行用車両「赤胴車」が引退

チアフルライターのやまさんです。

今月まで現役で走っていた古参の急行専用列車「赤胴車」。本線での運行からは退き、武庫川線を走っていた7861形・7961形、7890形・7990形も6月2日を最後にその役目を終えました。

 

阪神電鉄では赤胴車の引退セレモニーを開催する予定でしたが、新型コロナの影響から中止となっています。今回、赤胴車を設計した阪神電鉄や赤胴車が最近まで運行されていた武庫川線の歴史にもふれつつ、長年阪神電鉄の顔として親しまれてきた赤胴車との名残を惜しみたいと思います。

 

※これからご紹介する内容は私が調べてまとめたものであり、正確性を期しておりますが、保証するものではありませんのでご了承ください。

日本初のインターアーバン、阪神電鉄

写真:阪神電鉄のすべての車両についている社章。創業以来ずっとこのデザインです。

 

阪神電鉄は、1905(明治38)年に日本初のインターアーバン(都市間電気鉄道)として開業しました。それまで電気を使って市内を低速で走る路面電車はありましたが、都市間を走る長距離鉄道は国鉄(現在のJR)の蒸気機関車しかありませんでした。阪神電鉄の社章を見れば、この会社が電気鉄道会社として出発したことが端的にわかります。ひし形の雷マークは電気を、中央のI字マークはレールの断面、線路を表しています。

 

専用の軌道を大型車を用いて高速で頻繁に行き来し乗客を運ぶスタイルは19〜20世紀のアメリカで始まったものです。これをインターアーバンと呼び、阪神電鉄創業時、アメリカの事情に詳しかった三崎省三技術長の提案により採用されました。今では日本の主要都市の間を電車が行き来する様子は至って普通の光景になっています。

初の大型高性能特急専用車、3011形

写真:三宮駅に停車中の3011形車両(ウィキペディア:阪神3011形電車より)

 

1920(大正9)年に阪神急行鉄道(阪急)が神戸線・梅田〜神戸上筒井間を開業、さらに国鉄東海道本線が1934(昭和9)年に電化され、大阪〜三ノ宮間を24分で運行するようになると、同じ阪神間を走る3者間での顧客獲得競争が激しくなりました。

 

戦後復興期から高度経済成長期への変わり目にあたる1954(昭和29)年の8月13日、阪神電鉄は甲子園の高校野球輸送に向けて初の大型高性能電車を投入します。車形(しゃがた)は3011形。動力伝達方式は従来の「吊り掛け駆動(※1)」から「カルダン駆動(※2)」へと変更され、車体サイズは従来の14m×2.4mから19m×2.8mへと大型化、車体の上半分はクリーム色、下半分がマルーン色に塗り分けられ、それまでチョコレート色の市電サイズ車両しかなかった阪神電鉄のイメージを一新することになります。

 

大型車の運行開始にあたり、戦前から線路間隔を広げるなど着々と準備を続けてきた阪神電鉄ですが、この大型車を走らせるため各駅のホームを削り、在来の小型車の扉下部に張り出し板とステップを取り付ける作業がわずか一晩で敢行されました。

 

街中を縫うように蛇行しながら走っていたため、阪急や国鉄に比べあまりスピードの出せなかった阪神電車の売りは「待たずに乗れる」便数の多さにありました。しかし、梅田〜三宮間を25分間ノンストップで疾走する3011形は、その常識を覆します。この3011形は後の急行専用車「赤胴車」の先駆けとなりました。

 

3011形はその後1964(昭和39)年と1969(昭和44)年に現在の赤胴車スタイルへと改造され、車形も3561形・3061形へと変更、1989(平成元)年まで走り続けました。

 

※1 吊り掛け駆動:モーターから輪軸に動力を伝達する駆動方式。構造が単純で保守がしやすく安価である反面、車軸にモーターの重みがかかるため摩擦が生じ、高速運転ができず車軸やレールを傷め、また騒音も大きく乗り心地も良くないという欠点がありました。現在吊り掛け駆動で走る電車はごくわずかしか残っていません。

 

※2 カルダン駆動:モーターを台車枠に固定し、自在継手によってその回転力を車軸に伝える駆動方式。

赤胴車、誕生

写真:武庫川駅に停車中の3301形(ウィキペディア:阪神3301形・3501形電車より)

 

3011形は長距離用特急車として開発されたため、車両はボックスシートに2扉といった長時間利用を想定した設計になっていました。そのため通勤用高性能急行車として、途中駅での頻繁でスムーズな乗降に対応でき、輸送需要の変化に応じて連結車両数を自在に変更できるように設計されたのが、1958(昭和33)年に投入された3501形・3301形です。18m・3扉・ロングシート車体を阪神で初めて採用、高性能車初の前面貫通ドアが付けられました。この基本設計はその後の全車に受け継がれました。

 

阪神の急行用車両のトレードマークとなった上半分がクリーム色、下半分がバーミリオン色の赤胴車カラーは、この時初めて採用されました。このカラーリングが、当時テレビやラジオで放送されていた「赤胴鈴之助」というドラマの主人公が身につけていた赤い胴(剣道の防具)をイメージさせたため、「赤胴車」と呼ばれるようになりました。

 

3501形が基本ユニットとなる制御電動車、3301形が増結用車両で、この車形が赤胴車シリーズの原型となります。1961年には赤胴車第2弾となる3601形・3701形が増備されました。これらは1971(昭和46)~72(昭和47)年に7601形・7701形に改造され、1986(昭和61)~1989(平成元)年までに全て引退しました。

写真:えちぜん鉄道MC2201形 (ウィキペディア:阪神3301形・3501形電車より)

 

引退した3301形のうち4両は福井県にある京福電鉄福井支社(2003年からはえちぜん鉄道)へ移籍、モハ2201形(2201~2204)に改造され、第2の人生を歩みます。これは赤胴車では唯一他社に移譲された車両になります。モハ2201形はえちぜん鉄道移管後MC2201形へと型式変更され、京福電鉄時代と併せて1986(昭和61)年から2014(平成26)年まで運行され、赤胴車時代と併せて56年もの長きにわたり現役として走り続けました。

現役最古参だった赤胴車7861形・7961形

写真:武庫川駅に停車中の7861形7866F

 


6月2日まで武庫川線を走っていた7861形・7961形は、1963(昭和38)年に登場した往年の主力車7801形・7901形の数ある姉妹形式車のひとつです。当時阪神では1967(昭和42)年に1,500Vへの昇圧を控え、戦前製の600Vを全廃するため、急行用の高性能車を大量に必要としていました。7801形・7901形はこの需要に応えるために開発され、製造コストを抑えつつ高品質のサービスを提供できる車両となりました。

1966(昭和41)年に登場した7861形・7961形はつい最近まで現役最古参の赤胴車であると同時に、阪神電鉄の現役車両で最も長い54年の歴史を持つ車両でした。わかりやすい特徴は片開きドアの側ドア、保護棒付きの戸袋窓。発電ブレーキなしで、走行システムも単純化されていました。

武庫川線用に改造された赤胴車、7890形・7990形

写真:武庫川線を走る7990F(ウィキペディア:阪神7890・7990形電車より)

 

7890形・7990形のもとになった3801形・3901形は、当時の西大阪線西九条駅と難波を結ぶ新線(現在の阪神なんば線)計画に対応するため1974(昭和49)年に登場しました。西九条駅は高架駅、その先の九条駅は地下駅となっていたため、駅間が急勾配になっています。そこを安全に下れるよう、同車両には発電ブレーキ(※3)が据え付けられました。しかし、様々な事情により計画が凍結され、発電ブレーキが不要となった3801形・3901形は製造打ち切りとなり、既に完成していた4両編成3本は本線で運行されることになりました。

 

1985(昭和60)年に3本のうちの1本が事故により廃車になると、そのままでは使いづらくなった残りの8両をバラし、6両編成の8901形・8801形・8701形、2両編成の7890形・7990形へと車形を変更、前者は引き続き急行車として本線に復帰し、後者は改造の後武庫川線の増強用に充当されました。同車両は両開きドア、二段窓(※4)タイプの最後の赤胴車でした。

 

※3 発電ブレーキ:ブレーキ装置の一種で、車両の運動エネルギーを利用して主電動機を発電機として使用し,得た電気エネルギーを抵抗器によって熱として消費するもの。

 

※4 二段窓:上下半分に分かれた半固定窓。最近主流のはめ殺しタイプと違い、乗客が自由に開閉できるようになっています。

 

頓挫していた新線計画は2003(平成15)年より工事を再開し、2009(平成21)年に阪神なんば線として正式に開業、阪神電鉄の難波延伸という40年越しの悲願が達成されました。阪神なんば線開通により、阪神電鉄は近鉄(近畿日本鉄道)と相互直通運転を開始しました。

写真:2007年(平成19)年に登場した1000系。近鉄線への乗り入れ車両として製作されました。ステンレスのボディに新しい急行用カラー、ビバーチェオレンジのポイントと白のストライプが塗装されています。急行用車両の中では1000系が最も新しいモデルとなります。

写真:1996(平成8)年に登場した9000系。阪神・淡路大震災で被災した車両の不足分を補うために急遽製造された急行用車両です。阪神なんば線開通により、現在近鉄線への乗り入れ車両となっています。はじめは赤胴車の伝統を継いだオータムレッドの帯でしたが、近鉄線乗り入れ改造時にビバーチェオレンジへと塗り替えられました。

 

赤胴車には他にも1963(昭和38)年に登場し、経済車として大量に増備された7801形・7901形や、1970(昭和45)年に登場した阪神初の冷房車にして日本初の電機子チョッパ(※5)制御車7101形・7001形などがありました。

 

※5 電機子チョッパ制御:一般的な電車の主回路にある抵抗器を半導体の装置に置き換えたシステム。抵抗器は電気の流れを熱変換で加減するのに対し、半導体は必要な量だけを流すことができ、電気を浪費しません。チョッパ制御とは、電流を小刻みに流したり止めたりして、一定時間に流れる量を調節することです。

 

さよなら、ありがとう赤胴車【後編】に続く