尼崎三人衆が突然の卒業!?
神戸在住のチアフルライターやまさんです。
ライター仲間のまゆたさんから「尼崎城三人衆が3月末で卒業する」と聞きびっくり。尼崎城三人衆とは2021年の10月に活動を開始した尼崎城のPRユニット。週末や祝日に城内のツアーガイドとしてお客さんをおもてなしするお城のアイドル、城ドルとして着実にファンを増やしてきました。城内ツアー以外にもこれまでにデビュー曲「AMAGASAKIJOU」をはじめトータルで5曲の楽曲を発表、全国のお城PR武将たちとお城ファンが一堂に会する「お城EXPO」や「城フェス」にも尼崎城代表としてPR活動を繰り広げ、お城好きの間で有名なお城インスタグラマーのKAORIさんとも尼崎城を通じて交流していました。やまさんも昨年の12月に三人衆を取材させていただいたばかりです。
それがわずか1年半で卒業するなんて寝耳に水、というわけでまゆたさんと卒業式イベントに行ってきました。今回はその様子をお伝えします。
ファイナルツアー1日目
25日の9時過ぎ、1階の受付前には既に女性ファンがたくさん集まっていました。なかには一眼レフを持参していた女性もいて、この方は2日間終日卒業イベントに参加されていました。ツアー開始時間には子連れの一般のお客さんも含めて30名近くのお客さんが集まりました。まゆたさんによるとこの日は東京から駆けつけたファンの方もいたとか。
ツアーガイドの皮切りはお城の5階でのミニライブです。しんじろうさんがライブセットを携帯しており、スマートフォンでカラオケをかけるとbluetoothに接続された2つのスピーカーから音楽が流れる仕組みです。これがあればどこでもライブ会場になるんですね。大きな機材も設備も必要なく、上手く出来てるなあと感心して見ていました。写真の左端はしんじろうさんが子供のお客さんに音楽のポン出しをお願いしているところ。三人衆は子供にとても人気がありました。
この回で歌ってくれたのは『尼っこスピリッツ』 元気の出る曲です。
ここ、ちょっと三国志に出てくる桃園の誓いみたいですね。
つまづき膝を 擦りむいて
泣きべそまみれ ハナタレ
でも ここは楽しい 尼崎さ
シュワシュワジュース飛んでって
涙がこぼれ落ちこんで
でも ここは優しい 尼崎さ
大きな夢もち 挑んで
父ちゃん 母ちゃん 超えてゆけ
腹がへっても くじけるな 明日は明日の陽が昇る
―『尼っこスピリッツ』より
ライブの様子のごく一部ですが、やっぱりかっこいいですね!
こんなお茶目なシーンも。
城内ツアーが始まりました。5階では尼崎城があった江戸時代の周辺の様子を教えてもらえます。
4階には尼崎市出身の画家荻原一青氏が描いた全国のお城の手ぬぐいが展示されています。
3階の金の間ではお客さんがお姫様や武将、忍者などのコスプレをして記念撮影ができます。しんじろう役の鍋海光さんといしのすけ役の池治徹也さんは関西を中心に活動する劇団「ステージタイガー」の劇団員。しんじろうさんは殺陣などもやっておられるようで、刀を抜いたり鞘に収めたりする何気ない所作もとても決まっていました。
これはやまさんが日本語交流をしている中国からの留学生のお友達としんじろうさんと一緒に撮ったときのものです。この日は受付で貸してもらえる音声ガイドペンがとっても役に立ちました。お友達も「とても楽しかった」と言っていました。
2階は尼崎城の歴史がわかるコーナー、剣術のシミュレーションができるコーナー、VRを使って尼崎城内を探検できるコーナーなどが盛りだくさん。この回ではとてもノリの良いお客さんがいて、ツアーは終始笑いが絶えませんでした。
尼崎中央五丁目商店街にある卒業コンサート会場Ohanaへ
午前の城内ガイドツアーが終わると尼崎城から徒歩15分、尼崎中央五丁目商店街にある古民家カフェohanaへと移動し、卒業コンサートが開かれました。移動の途中で通過した尼崎駅前は桜が満開でした。
コンサートでは『AMAGASAKIJOU』『尼崎城夢祭り』『無礼講ガール』『尼っこスピリッツ』『尼はええとこ一度はおいで』の5つの楽曲によるメドレーが披露され、ファンの皆さんと共に大いに盛り上がりました。またトークでは三人衆を演じるにあたっての苦労話も飛び出しました。
しんじろう:お城EXPOや城フェスに初参加した時、振り付けの猛特訓を受けて翌日の本番では皆足が笑っていたり。
よひちろう:他のお城のPR武将に普通の調子で話しかけると、向こうは完全に戦国武将になりきっていて会話の温度差がすごくてどうしよう、とか。
しんじろう:僕は初代城主の役なので最初は『お主、左様であったか』みたいに武将っぽく演じていたんです。そしたら子供達が怖がってしまったので、普通のお兄ちゃんの感じに修正していって。お客さんとどう接したら良いか色々と試行錯誤がありました。
花束贈呈でコンサートは締めくくられました。
この後、三人衆はファンの皆さんと一緒に徒歩で帰城し午後からのツアーに備えていました。三人衆が商店街を練り歩く形になったことにより、尼崎城の良い宣伝になったと思います。逆に尼崎城に遊びに来たお客さんも会場への道中商店街で買い物や食事をすることができますし、会場に使用されたお店の宣伝にもなり、win-winの関係ができあがります。こういう城外イベントをもっと続けていたらお客さんの流れに回遊性ができ、街中で交流の輪が広がったのになあ、とても残念に思いました。
会場となった古民家カフェOhana。商店街から少し奥まった場所にあり、ちょっとした隠れ家のようになっています。店名のOhanaはハワイ語で「絆」という意味だそうで、近隣住民のコミュニティスペースの他、ライブやトークなどのイベントスペースとしても利用されています。
Ohanaの店長さんからもお話を伺ったのですが、尼崎三人衆のことをよく知っているそうで、卒業をとても残念がっていました。
「スタッフとともに全力でおもてなしを」家老・大西さんの思いとは
家老の大西さんから尼崎三人衆の誕生秘話を聞かせていただきました。大西さんは歴史をプロデュース・プランニングする仕事をしており、2019年のオープンからプロデューサーとして4年間尼崎城を全国にPRする仕事をしてきたそうです。尼崎市では、2023年度から指定管理者が変わり、三人衆だけでなく、尼崎城の総合プロデューサー・家老役を務めた大西さんもまた3月末で引退することが決まったそうです。今後はまた、全国の歴史に関する仕事をされるとのことでした。
尼崎三人衆が生まれた理由について教えて下さい。
「2019年に再建された現在の尼崎城は、温泉や名所がある観光地に建っている訳ではありません。また廃城令により城郭も壊され、お堀も埋め立てられてしまったため、再建された天守が建っている場所は元の位置とは違っています。遺構も少なく、歴史も途切れてしまっていることで認知度が無く、尼崎市民でさえ江戸時代の初めから立派な城郭や城下町があったことを知る人は少ないのです。さらに尼崎城にはお城をPRするための予算がありませんでした。そこで、阪神沿線唯一の天守として、どうアピールするかを考えた際、スタッフのエンタメ性を高め、尼崎城を五感で感じることができるような形で提供し、お客様の来城促進を図る事を目指しました。そのアイコンとして誕生したのが尼崎城三人衆です。」
「しんじろう、いしのすけ、よひちろうという名前は尼崎藩を治めた初代戸田氏鉄、三代目青山幸利、最後の城主櫻井松平忠興の幼名から採用しました。藩主のような存在でありながらも、身近なお兄さんの城ドルをコンセプトに、徹底してお客様のおもてなしをする事で、尼崎城を好きになっていただくことを目指し活動してきました。」
三人衆がガイドツアーやイベントなどで歌っていた楽曲ですが、プロの方が作られたのでしょうか?
「歌詞はお城のスタッフと協力して作りました。作曲は大阪と東京の音楽プロデューサーが、振り付けは尼崎と東京の振付師にご協力いただき、作曲や振り付けは尼崎城三人衆のコンセプトに可能性を見出していただき、無償提供していただきました。」
衣装デザインをしたのはどなたでしょうか?
「三人衆をはじめ御小姓組、忍者組といったスタッフの衣装コンセプトは私が作りました。着物専門店様のご意見も伺い、オリジナルで制作したものです。それぞれの時代性を考慮し、しんじろうは『戦国を生き抜いた熱い赤』、いしのすけは『太平の世の緑』、よひちろうは『風雲急を告げる幕末の黒』をイメージカラーとしました。それぞれの衣装には歴代藩主家の家紋も入っています。樫丸や桃丸は尼崎藩で実際に雇われていた忍びをイメージしたものです。」
スタッフの衣装には小物、髪飾りの細部に至るまで、お客さんや公園の植物、日本の季節などを考慮して細かい配慮が施されていたそうです。
「スタッフの職責は江戸時代の各藩の職名をヒントに、家老や奉行、小姓などと付けていました。これもお客様に少しでもお城の世界に没入していただくための仕掛けです。例えばエレベーターの扉が家紋入りの門になっているのも、没入感への誘導のひとつです。」
「コロナで集客が見込めない状況の中、スタッフ一丸となってこの1年半おもてなしに努めてきました。城に一歩入れば、楽しく歴史に触れていただける場所にしようという思いで皆頑張ってきました。来城者からの満足度も高く、メディアからも評価を受け、他府県のお城でも尼崎城の広報戦略を真似していただけるようになりました」
やまさんも何度か歴史好きの知り合いを連れて尼崎城へ遊びに行きましたが、毎回とても喜んでもらえました。三人衆だけでなく、桃丸さんや樫丸さんの知識量にも驚かされました。おかげでやまさんも尼崎が歴史的にとても興味深い街だということを知ることができ、さらに江戸時代の日本の歴史についてももっと知りたいと思うようになりました。
お城の中を江戸時代の衣装を身に着けたキャラクターが動き回っていることで、舞台セットとしての尼崎城にリアリティが生まれ、観客はあたかも江戸時代にタイムスリップしてお城の住人に会っているような気分になれます。文献的な裏付けを持って建造された公共の施設が、専門性の高い知識とエンターテイメント力を持ったスタッフにより運営されていて、それが僅か大人500円で見学できる事例は全国でも珍しいのではないでしょうか?
これは今年の2月1日から3月31日まで販売された「尼崎城の城熱カレーパン」。尼崎城と兵庫県伊丹市に本社を置くオイシスとのタイアップ商品で、近畿・中国・四国の主要スーパー、ドラッグストアでも販売されました。カレーに尼崎の地域ブランド野菜「あまやさい」の小松菜を使用した地産地消商品で、尼崎城内では午前中に売り切れてしまうほど人気があったそうです。地元企業と連携してPR活動を展開するのもとても面白いと思いました。また3月31日まで、食べた後の袋を持参すると尼崎城への入城料が2割引になりました。このやり方ならお城を通して地場産業の発展にも貢献でき、トータルで尼崎市全体の活性化を促すことができます。
大西さんが短い期間に尼崎城だけでなく、地元の人、企業、街の地理的な歴史や特徴を活かし総動員して街の再生に取り組んでこられたことがよくわかります。
「これからという時に彼らが卒業したのは誠に残念です。惜しむ声も各所から頂きました。しかし尼崎城三人衆やスタッフの功績は残りますので、また再評価されれば幸いです」
尼崎三人衆は尼崎市全体の活性化とイメージチェンジを図る求心力であり起爆剤
写真:阪神尼崎駅
不動産・住宅サイトSUUMOの「住みたい街ランキング関西版」の「穴場だと思う街・住みたい沿線ランキング」によると、3年連続で尼崎駅(2020年と2021年がJR東海道本線、2022年が阪神本線)が1位を獲得しています。
写真:尼崎商店街のアーケードには尼崎出身の漫画家尼子騒兵衛さんの描いた尼崎寺町七福神の絵が飾られています。2021年に阪神尼崎駅周辺にある7つのお寺を巡って御朱印を集める「尼崎寺町七福神めぐり」イベントが開かれたときのものです。
阪神尼崎駅の北側には巨大な阪神尼崎駅前13商店街が軒を連ねています。これらの商店街は終戦直後からヤミ市として発展し、高度経済成長期には阪神間工業地帯で人口密度全国一となった尼崎市住民の胃袋を支えてきた一大繁華街です。一方で駅の南側には尼崎藩時代の寺町が残されており、尼崎城や城址公園、尼崎市立歴史博物館、図書館、学校が点在する閑静な地域となっています。阪神尼崎駅周辺は実はこのように住むのに利便性が高く、観光するにも見どころの多い土地なのです。
城下町だった尼崎は1950〜70年代に工業都市として飛躍的に発展しましたが、工場から出る煤煙や幹線道路を通過する自動車の排気ガスによる大気汚染により「公害の街」という負の遺産もまた背負うことになりました。現在尼崎では多くの工場が移転・撤退し、跡地にはマンションが立ち並ぶようになりました。また、有害な排気ガスを出す大型ディーゼル車の規制により、尼崎は住みやすい街へと生まれ変わりました。住まいる総合研究所の井口さんの記事によると「新興の住宅地区としての訴求を十分すぎるほど備えていながら、穴場だと思う街ランキングで3年連続1位にもかかわらず住みたい街ランキングでは32位に留まっているのは、労働者の多い下町、そして公害の街といったかつてのイメージが色濃く残っているからではないか」とのことです。
尼崎市ではこれまで放置自転車の撤去など街の美化と負のイメージの払拭に努めてきました。こうした努力が実を結び、住宅ローン専業大手のARUHIの「本当に住みやすい街大賞2018in関西」でJR尼崎駅周辺が1位に選ばれ、テレビ大阪による「関西住みたい街ランキング2019」では尼崎市が5位にランクインするなど、尼崎のイメージは格段にアップしています。
写真:庄下川を渡る阪神普通5500系。尼崎城の北隣には尼崎車庫があるため、尼崎城は阪神電鉄の鉄道イベントである「はんしんまつり」の会場としても利用されるなど、阪神電鉄とは浅からぬ縁があります。また、尼崎城址公園の整備は阪神電鉄の系列会社であり、甲子園球場のグラウンドを整備している阪神園芸さんが行っているそうです。
住みやすい街・住みたくなる街としての環境が整ってきた今、その環境を十二分に活用して今度は尼崎で暮らし働く人々が協力して人の力でまちおこしをしていく必要があります。尼崎の名所旧跡を見て回るにしても、グルメスポットを見つけるにしても、地元住民の知識や情報がなければ他所からやってきた人にはどこがそうなのか探し当てるのは困難です。そのわかりやすい目印になっていたのが尼崎城であり、なによりもその中で表面的でない情報発信をしてくれていたのが尼崎城三人衆であり、スタッフの皆さんだったと思います。三人衆の幅広い広報活動により全国的に尼崎城が認知されるようになり、地元の企業やアーティストとの連携プレイによる新たなイベントも始まっていました。お城のシンボル的存在だった尼崎城三人衆が卒業してしまうことにより、新しいコンセプトを持つ魅力的な街尼崎、そして尼崎城が求心力を失ってしまうのではないかと気がかりです。
ファイナルツアー2日目、ファン号泣の卒業式
2日目の最終日、この日は朝から土砂降りの雨。あたかもファンの気持を代弁しているかのような空模様でした。朝9時前から門の前にはファンの女性たちが沢山集まっていました。
やまさんも三人衆の皆さんにご挨拶させていただきました。
この日のツアーのライブ曲は『AMAGASAKIJOU』で始まりました。
語り継ごうこの町を新たに照らすその時を
誓いのため勝ち抜いた君と僕と笑顔の調べを
暖かい期待になって君と僕とこの町で
光になろういつだって時代を拓くのは僕らだって
人びとが生きた歴史も
どれだけの壁あろうとも
瞬く間に時数え守るため
たとえどれだけ時代が 流れても変わらないもの
心の中でギュッと 抱きしめようよ夢と未来きっと
変わり続ける時代に 変わらない約束をしよう
瞬く間に時数え守るため
夜空貫く天守Yeah!
心震わす夢が跡
どれだけ時流れていっても貴方を想う
永遠に輝く天守Yeah!
心揺るがす夢が跡
貴方とまた出会う町 尼崎城
―『AMAGASAKIJOU』より
聞いているとしみじみ泣けてくる歌詞です。尼崎城が、スタッフひとりひとりのエンターテイメントによって支えられている、人の力で支えられている場所であることがそのまま体現されているような曲です。
残念ながら三人衆が歌っている公式動画はありません。三人の雄姿が記録として残らないのは本当にもったいないです。こちらにファンの方がYouTubeにアップロードした動画がありますのでぜひ見てみてください。
尼崎三人衆が残したメッセージ
最終ツアーの終わりに三人衆の皆さんから卒業の言葉がありました。ファンの皆に3人が残してくれた大切なメッセージだと思いますので記録として残しておきます。
いしのすけ:僕は最初尼崎城のことは全然わからなかったんです。それが活動をやっていくにつれて「尼崎城って面白いな」「皆さんとここで交流するのが楽しいなあ」と思うようになりました。歴史が好きだからというよりは、この場の雰囲気が好きだからもっと良くしていこうと、さらに勉強してここまでやってきました。僕がこの場にいることができるのは皆さんのおかげだと思っています。上手く言えないですけど、今までありがとうございました。
しんじろう:私にとっては皆さんと出会えたことが一番大きかったです。ツアーガイドをこれだけ沢山の人に応援していただけるとは思っていなくて。私はソロツアーもよくやっていたんですが、そのときに一人の方とお話することによって縁が繋がって、その方が「面白かった」と何回も来てくれて。その輪が広がってこうやって皆さんに最後まで応援していただけるんだなと。私たちは尼崎城を離れてしまいますが、またお城を訪れた際にはこういうことがあったなと、思い出していただけたらと思います。
尼崎城に帰ってきたいなと思う気持ちもあります。また尼崎城三人衆としてお城に帰ってこれるようにと願っております。今までどうもありがとうございました。
よひちろう:僕はこの活動が始まる前に役者をやっていました。個人的なことなんですけど、表に出るのを一旦控えようと思っていた時期に、ある方に「ここで是非どうだ」とお声がけをいただきました。尼崎城は、僕をまた表舞台に戻していただいた、与えてもらった環境なんです。その中で人前で歌って踊って、たくさんの人に見守ってもらって拍手していただけるなんて思いがけないことでした。これには本当に感謝しています。
尼崎城三人衆の活動を初めた頃は、アイドルを演じるとか、歴史やお城をPRするということが無茶苦茶難しくて。知識も必要だし、お客様とのコミュニケーション力も必要だし。やっていて楽しいんですけど、どこかしら日々悩みはありました。どうやったら皆さんと仲良くやっていけるだろうと日々考えることによって僕自身かなり成長することができ、とても良い経験をさせてもらったと思っています。
応援の力ってむっちゃすごいんです。誰かの言葉って、誰かがかけてくれる時間って無茶苦茶僕たち3人にとって大きいんです。皆さんからの応援をいただいたことでここまで走ってくることができました。ですので皆さんも、周りを見て自分がしんどいときは「しんどい」って頼ったり、自分に力があるときは「頑張ってね」とか「頑張りすぎないでね」って背中を押したりして、見守ってくれたら嬉しいなと思っています。
皆さん本当にありがとうございました。
卒業証書授与式
尼崎在住の書道家はる香さんによる書道パフォーマンス。三人衆の卒業証書をしたためています。
家老の大西さんから尼崎三人衆へ卒業証書が授与されました。
ファンの皆さんとの記念撮影。写真中央はくノ一ガイドの桃丸さん。まゆたさんによると、ファンの方達は号泣だったそうです。一方で、いしのすけさんが前日から「最後まで笑顔でやりますよ」と何度も言っていたのが印象的でした。卒業証書をよく見てみると贈呈者の名前が初代城主戸田氏鉄になっています。尼崎藩の歴代城主、特に青山幸利公と櫻井松平忠興公は尼崎城三人衆の活躍を喜んでくれてたんじゃないでしょうか。
尼崎城三人衆をはじめお城のキャストを務めていた皆さんもまた3月末で移動されることになったそうです。本当に残念です。
三人衆の消えた尼崎城で
後日再び尼崎城を訪問してみました。
魔法が消えてしまったようになった尼崎城を見てとても寂しかったです。帰宅後『AMAGASAKIJOU』を何度も聞き返してしまいました。是非また皆さんに戻ってきてほしいと思いました。
尼崎城の1階にはお城周辺のまち歩きマップがあり、城内見学の後で周辺の旧跡を見て回ることができます。この地図をスマホに撮影して実際にまち歩きをしてみました。
尼崎城の南に隣接する櫻井神社。よひちろうさんが演じた尼崎城の最後の城主櫻井松平忠興公を始めとする櫻井松平家代々の16柱を主祭神とする神社です。境内は桜が満開でした。
櫻井神社の拝殿の屋根瓦や賽銭箱など、至るところに桜の花がデザインされていてとても可愛いです。
神社から僅かながら尼崎城を望めるボイントがあります。元々この地にあった尼崎城は1873(明治6)年に明治政府から発布された廃城令により跡形もなく消え、桜井家もまた尼崎を去りました。さらに昭和期に入ると元々の住民が尼崎を去り、高度経済成長期にはそれと入れ替わるように尼崎市外から仕事を求めて多くの人々が移住してきました。そういう経緯があったため尼崎城があった頃の尼崎を知る人は非常に少なく、尼崎に立派な天守閣があったことすら知らない人が多いのだそうです。
尼崎城から徒歩16分、大物公園のそばにある「残念さんの墓」。三人衆のガイドツアーで教えてもらった場所です。
これは長州藩兵山本文之助という人のお墓で、1864(元治元)年の蛤御門の変で出兵し京都から帰国途中で尼崎藩に捕らえられました。文之助は「残念で口惜しい、もし口惜しいことがあれば自分に参れば一つだけ願いをかなえてやろう」という書置きを残し自害したそうです。これを伝え聞いた多くの人が文之助の墓へ参詣し、いつしか「残念さん」と呼ばれるようになりました。やまさんは残念さんに「尼崎三人衆を尼崎城に戻してください」とお願いしました。
これはまゆたさんが3月5日にゲットした尼崎三人衆の御登城記念証。限定品ということであっという間に売り切れたそうです。
尼崎城三人衆のアクリルスタンド。
三人衆が起用された尼崎城のパンフレット、そしてツアー参加者がツアー終了時に三人衆からもらえた名刺。大切な記念品です。
三人衆役の鍋海さん、池治さん、伊藤さんはそれぞれ公式のツイッターアカウントをもっていますので、それぞれの個人としての活躍をこれからも応援したいです。そして尼崎城三人衆の復活を心から希望しています。
【尼崎城】
アクセス:阪神尼崎駅から南へ徒歩5分
営業時間:9:00~17:00(最終入城は16:30まで)
入城料:
一般500円 小中高校生250円
団体20名以上 一般400円 小中高校生200円
障害者・療育手帳交付者 一般350円 小中高校生180円
※1階と公園敷地内は無料
休城日:月曜日(祝日の場合は営業、翌日休)、12/29~1/2
【Ohana】
アクセス:阪神尼崎駅から徒歩9分。阪神出屋敷駅から徒歩10分
営業時間:11:00〜18:00
定休日:木曜日
TEL:06-4950-4400
【残念さんの墓】
アクセス:大物駅から徒歩6分
【参考】
お城ファン必食!? 『尼崎城の城熱カレーパン』2月1日発売 隠し味に地元野菜 特典付きキャンペーンも ラジトピ2023/2/1
住みたい街ランキング2021関西版発表、3年連続「穴場」1位のJR尼崎のポテンシャル crelab 2021/4/13
文/チアフルライター やまさん