沿線お役立ちコラム

「阪神パーク」が1日限りの復活!? 「あゝ懐かしの阪神パーク」に行ってみた

改札口を抜けると、そこには「あの遊具」が!

生まれは大阪、現在は神戸に住んでいるチアフルライターまるよしです。

私が子どもの頃によく遊びに行っていた遊園地や動物園は、「天王寺動物園」「白浜アドベンチャーワールド」、そして「阪神パーク」でした。天王寺動物園は大幅にリニューアルしてしまったし、アドベンチャーワールドで大好きだったシャチはいなくなったし、阪神パークはなくなったし… と、自分の子どもと思い出がうまく共有できないことを、少し寂しく思っていました。

そんな時に、なんと阪神パーク復活の知らせが!1日限りとはいえ、また阪神パークの話ができる!

2024年3月2日、家族を引き連れて「あゝ懐かしの阪神パーク」へ行ってきました。

「あゝ懐かしの阪神パーク」とは?

「あゝ懐かしの阪神パーク」は、「阪神グループでなんとかなりそうな夢大募集!」という、阪神電気鉄道が沿線の住民の夢をなんとか叶えようとする企画から生まれたそうです。様々な夢が集まるなか、「阪神パークの復活」を望む声があり、その夢を叶えるべく企画されたのが、1日限りの復活だったというわけです。

メイン会場となる甲子園駅前広場では縁日など様々なイベントが行われ、甲子園歴史館やららぽーと甲子園でも展示が行われていて、甲子園周辺を散策しながら楽しめるイベントとなりました。

子どもたちは縁日を満喫! 駅前広場の賑わい

このイベントのメイン会場となるのは甲子園駅前広場。遊具やアナウンススポット、メモリアル大年表、本部が設置。当時園内で販売されていたメニューを再現したかのようなキッチンカーもたくさん来ていました。

私たちは残念ながら見られませんでしたが、ちんどん道中練り歩きもとても盛り上がったようです(同イベントに偶然来ていた友人談)。

縁日コーナーには、私が大興奮した「ふわふわドーム」のほか、動く動物に乗れる「メロディペット」、甲子園ボウル(ボウリング場)にちなんだ「ジャンボボウリング」がありました。300円の「HAPPY3」というチケットを購入したら、3つすべて体験することができました。この時代にこの値段設定… !たくさんのお子さんが楽しんでいたようで、わが家の娘はジャンボボウリングに挑戦。景品としてペーパークラフトをいただきました。

甲子園歴史館や、ららぽーと甲子園にはスタンプラリースポットがありました。景品としてステッカー(なんと、当時の阪神パークのスタッフジャンパーについていたワッペンのデザインだそうです!)がもらえます。

母の私が一番興奮していたかもしれません。

大人はじっくり! メモリアル大年表とおもひでのデザイン展エリア

遊具やキッチンカーの周りは親子連れが多く非常に盛り上がっていた中、メモリアル大年表など展示物の周りは、じっくりと眺めて楽しむ大人が多く見られました。

個人的には、阪神タイガース公式ショップの前あたりに提示されていたおもひでのデザイン展エリアに心ひかれました。

昔のポスターやパンフレット、看板など、かつての阪神パークに関わるグラフィックがたくさん展示されていたためです。

私が一番心惹かれたのは、道頓堀橋・戎橋間にあったという大看板。このタイポグラフィとキリンのバランス、センスの塊ではないでしょうか。童話まつりのポスターも色鮮やかで、一見しただけでワクワクが伝わってくるようです。

展示されていた様子を、ぜひ実際に見てみたかったです。

パソコンでデザインをすることを生業としている私ですが「このデザインに追いつきたい」という目標に出会えたような気がしています。70年以上前の作品を見せていただき、ありがとう!という気持ちでいっぱいです。

スタンプラリーの旅が始まる

遊具でひとしきり遊んだ後、本部でもらったスタンプラリーの紙を持って甲子園歴史館、ららぽーと甲子園に向かうことにしました。

スタンプリー台の上には阪神パークに関する豆知識パネルが乗っていて、子どもも非常に楽しく見ていたようです。駅前広場には甲子園駅~阪神パーク間に設置されていた動物たちの像、甲子園歴史館にはゾウ、ららぽーと甲子園内にはフラミンゴ、レオポン、宇宙等のパネルが設置されていました。

大年表横でスタンプを押した後、甲子園歴史館に向かいました。甲子園横を通り抜け、歴史館に到着。入り口を入ってすぐのスタンプラリースペースには人が並んでいました。

歴史館から東をみると、ららぽーと甲子園の入り口が見えます。ここはかつて阪神パークの入り口でもあった場所。今までららぽーとに来たことは何回もあるのに、今回はなぜか懐かしさや高揚感を感じながら、ららぽーと甲子園へ入っていきました。

ららぽーと甲子園が、阪神パークに

ららぽーと甲子園に入ってすぐに3つ目のスタンプラリーがあり、フラミンゴの豆知識が。神戸市の王子動物園近くで育った娘は「どこもフラミンゴが入り口にいるのは一緒なん?」と地元との共通点を発見し、ちょっと嬉しそうにしていました。

「知らんけど、ゾウもキリンもいて、ジェットコースターもあった楽しい遊園地やったよ。子ども会のみんなで行ったスケートもすごく楽しかったよ」と話しながら次のスポットへ向かいました。

レオポンや宇宙塔のスポットにも、人がたくさん集まっていました。

「レオポンかわいい!」「宇宙塔で宇宙に行けるの?」という声が色んな場所から聞こえてきました。

フォトスポットも用意されていました。菊人形を初めて見た娘は「これがお花でできているの?」と驚いた様子でした。

楽しそうなおじいちゃん、おばあちゃん

スタンプラリーに参加して気づいたのが「普通のスタンプラリーより参加している方の年代が高い」ということでした。

阪神淡路大震災の時に小学校6年生、閉園した年にちょうど二十歳になった私。つまり、私たちの親~祖父母世代は子どもを連れて行っただけなく、自分が子どもだった時も通っていたのだなということに気づきました。

 

子ども時代にも、子育て真っ最中の時にも阪神パークに親しんでいた方たちが、今日は童心に戻ってスタンプラリーを楽しんでいたのですね。もしかしたら、孫と一緒に来ていた方もいたかもしれない。

色々なところではしゃいでいるおじいちゃん、おばあちゃんたちのグループを見て、これはとてもすごいイベントなのかもしれない、と改めて思いました。

大人になっても、帰るのが寂しい

スタンプが無事5個貯まり、ららぽーと甲子園を楽しむことにした私たち一家。

ランチの待ち時間におみやげや台紙を撮影したり、美味しいランチをいただいたり、興味のあるお店を除いたり、娘の服を一緒に選んだり…

思った以上に甲子園を満喫し、あっという間に次の予定に向けて帰宅する時間になりました。

 

ららぽーとを出た瞬間、私はふいに寂しい気持ちになりました。ららぽーとの甲子園駅側の出入り口は、かつて阪神パークの出入り口があった場所。動物コーナーに戻ってくると、もうすぐ帰らないといけないとぐずぐずしていたことを思い出しました。その時に見えていたのが、今も変わらない甲子園球場や阪神高速。その景色をみて、一気に当時を思い出したのです。

甲子園球場の100周年と、私にとっての20年

おしゃべりに夢中な娘と夫の横で密かに感傷に浸っていた私ですが、甲子園球場の横に着くと、いつもと少し違う雰囲気に気づきました。

甲子園球場は今年が100周年ということで、通路にも様々な装飾がされていたのです。100周年へのカウントダウンであったり、人気漫画とのコラボレーションイラストが飾ってあったり… どんなイベントが催されるのか楽しみです。

 

甲子園駅につき、ホームに戻ると甲子園100周年の記念電車が。漫画とのコラボのほか、歴代の阪神タイガースの優勝シーンもラッピングされていました。そういえば、星野監督が甲子園球場で胴上げされたのは2003年。阪神パークが閉園した年の出来事だったんだな、と改めて実感したのでした。

阪神パーク大好きな子どもだった私が成人し、社会人になり、母になる。次の20年も、おそらく色々あるし、もっと早く終わるような気がします。

子どもの頃に感じていたことや家族のことを思い出し、仕事にとどまらずこれから人生へのモチベーションも得てしまった私。とってとても尊い1日になりました。

また阪神パークに出逢えてよかったです。願わくば、また復活してくれる日が来たらいいな、と思いました。

阪神グループでなんとかなりそうな夢大募集! – #ほっとはんしん プロジェクト