戦前の戦艦のマストが奉納されている神社、難波八幡神社
神戸在住のレトロ愛好家、チアフルライターのやまさんです。
以前から太平洋戦争の史実にずっと興味がありまして、普段から趣味の範囲でちまちまと調べたりしています。こちらのHPを見て尼崎の神社に戦艦榛名(はるな)のマストの一部が奉納されていると知ったやまさん、早速見学してきました。
阪神尼崎駅から阪神バスに乗って約5分、「東難波町3丁目」バス停に到着。ここから西へ少し歩いた所に難波八幡神社があります。
難波八幡神社の主祭神は応神天皇で、昔より当地方の産土の神、無病息災、厄除開運の神として尊崇されている神社だそうです。いわゆる地元の氏神様ですね。社務所の方のお話では、夏と秋にお祭りがあり、毎年多くの氏子さんで賑わっているそうですが、昨年も今年も残念ながら中止だとのこと。神社の名前の一部になっている「八幡」とは「八幡神」のことで、応神天皇と同じものとされており、清和源氏、桓武平氏などの全国の武家から崇められている武運の神様です。
戦艦榛名とは
これが榛名のマスト。
榛名は神戸川崎造船所(現・川崎重工業)で巡洋戦艦として建造され、1915年4月19日 に竣工しました。同時期に製作された三菱長崎造船所製の姉妹艦「霧島」と共に民間造船所で初めて建造された戦艦です。群馬県にある榛名山を名前の由来とし、金剛型の3番艦でした。他の姉妹艦は金剛、比叡。第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての長きに渡り現役であり続けました。
<榛名のスペック(第二次改装後)>
全長:222.05m
最大幅:31.02m
排水量:32,156トン
機関:蒸気タービン4基4軸 136,000馬力
速力: 30.5ノット
乗員:1,315名
主砲:四一式35.6cm連装砲4基
副砲:四一式15.2cm単装砲8門
高角砲:12.7cm連装砲6基
機銃:25mm3連装24基
榛名の足跡
【写真】第二次改装で海上公試中の榛名(1934年8月) ウィキペディアより
1915~1918年 第一次世界大戦中、中国・ロシア方面などの警備活動を行う。
1920~1928年 シベリア出兵支援に備えての戦闘訓練中、事故により15名の死傷者と船体全域に渡る損傷を負い、これを機に1921年から8年をかけて「第一次近代化改装」を施された。これは従来の石炭・重油混焼缶から重油専焼缶への換装や、上部構造物と船体の大幅近代化が含まれる改装であり、それまで低い司令塔と高い櫓の組合せであった艦橋が、後に日本戦艦の特徴と言われる重厚な城郭型檣楼に改められる。この時に巡洋戦艦から戦艦に艦種変更される。
1928年 横須賀沖にて挙行された大礼特別観艦式において、昭和天皇が座乗する御召艦を務める。
1933~1934年 「第二次近代化改装」で、動力部の刷新と船体・上部構造物の近代化改装が行われ、速力も第一次改装時の25ノットから30ノットを超える高速戦艦として生まれ変わる。
1937年 日中戦争中の長江河口沿岸で作戦行動を行う。
1941~1945年 太平洋戦争中、南方作戦支援に回され、マレー沖海戦、ミッドウェー海戦、ガダルカナルの戦い、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦など、海戦史上有名なほとんどの戦闘に参加。
榛名の最後
【写真】江田島小用海岸で爆撃を受ける榛名(1945年7月28日) ウィキペディアより
1945年に入ると、敗戦が続く日本では艦船用の燃料にも事欠く状態となり、榛名も修理を受けた広島県の呉で停泊するのみとなりました。6月22日にB-29により直撃弾1発を受け、防空砲台となるべく呉の対岸・江田島小用海岸に転錨、そこが最期の地となりました。7月24日・28日の呉軍港空襲により米海軍第38任務部隊による大規模な攻撃を受け、航空戦艦伊勢、日向や空母天城らとともに、三式弾射撃などによって激しく抵抗を行ったものの、20発以上の命中弾を受けて大破浸水、着底しました。
終戦後の1945年11月20日、榛名は除籍となり、7月4日に解体が完了しました。
開戦時すでに艦齢26年の老朽艦であるにも拘らず、最前線で主要海戦の多くに参加した榛名は、空母瑞鶴、「海軍一の幸運艦」と呼ばれた駆逐艦雪風などとともに「日本海軍の武勲艦」と呼ばれています。
戦前に初めて軍艦を作った民間企業、川崎造船所
【写真】榛名を建造中の川崎造船所のガントリークレーン1913年(大正2年)の絵葉書
鈴木商店記念館 提供
戦艦榛名は神戸市中央区にある川崎造船所(現・川崎重工業株式会社 エネルギーソリューション&マリンカンパニー)で建造されました。榛名の姉妹艦「金剛」がイギリスのビッカース社製、「比叡」がその技術を利用して横須賀海軍工廠で建造されたことを考えると、大砲など軍隊独特の装備や機構も付くわけですから、民間会社に軍艦建造が発注されるということは、同社の造船技術が当時から相当高水準であったことが窺えます。1896年に創立された川崎造船所は、1897年に進水した第一番船「伊豫丸」以来、早くもその10年後には日本初の国産潜水艦「第6潜水艇」を製造し、以後数多くの軍艦(注)や商船、特殊船を生み出して来ました。川崎造船所で建造された軍艦では、戦艦榛名のほか、重巡洋艦摩耶、空母瑞鶴などが有名です。戦後は海上自衛隊の自衛艦や潜水艦を建造しています。最も最近建造されたのは潜水艦「とうりゅう」で、2021年3月14日に就役しました。
注:戦艦と軍艦の違い 戦艦は「戦うための船」、軍艦は「軍が持っている船」で、軍艦には巡洋艦や航空母艦のような戦うものだけでなく、輸送艦や海洋觀測艦、練習艦のような戦わない船も含まれる。
川崎造船所(川崎重工業)製の主要な軍艦、自衛艦
1906年 初の国産潜水艦「第6」「第7」竣工。
1907年 通報艦「淀」竣工(国内民間造船所での10,000トン以上の軍艦第1号)。
1915年 戦艦「榛名」竣工(三菱長崎造船所製の戦艦「霧島」と共に民間造船所初の戦艦建造)。
1932年 重巡洋艦「摩耶」竣工(神戸市の摩耶山にちなんで命名)
1941年 空母「瑞鶴」竣工(民間造船所初の空母竣工)。
戦後は海上自衛隊の初代護衛艦いかづち、駆潜艇うみたか、2代目巡視船いずなどを製作。現在は潜水艦の建造を専門としています。
榛名のマストはなぜ難波八幡神社に奉納されているのか?
【写真】第二次近代化改装を受ける前の榛名。 ウィキメディア・コモンズより
写真中央のマストの上半分(の一部)が「国光宣揚会」に下付されたと思われる。
難波八幡神社に奉納されているこのマストは、1933~1934年に行われた第二次近代化改装で取り外され、廃品となったものです。それがなぜこの神社に祀られることになったのでしょう?
難波八幡神社の宮司上村道忠さんにお話を伺いました。
兵庫県立塚口病院(2015年に兵庫県立尼崎総合医療センターへ統合移築)(注)を建設することになった時、県会議員の中林さんという方が病院建設のための用地を視察しました。その時、このマストが打ち捨てられているのを発見したそうです。その場所は戦前大阪市天王寺区に本部を置く「大日本国光宣揚会」という組織の支部にあたり、敷地内には国民精神研修道場がありました。
「国光宣揚 軍艦 榛名」とある。
「国光」とは国の威光、「宣揚」とは広く世の中にはっきりと示すこと。戦中によく使われた言葉。
国光宣揚会の会則には会の目的を「本会ハ皇祖皇宗及列聖の勅教ヲ奉体シ特ニ明治天皇ノ御聖徳ヲ宣伝普及シ宗敬の信仰ニ依リテ忠君愛国ノ観念ヲ培ヒ以テ国民思想ノ善導教化ニ資スルヲ目的トス」と定めており、「国民、殊に青少年に軍事思想を普及する」ものだったようです。
【写真】国光宣揚会会長権藤中将によるマストの下付願い(一部)
【写真】海軍省が発行した廃品無償下付の件通知(一部)
マストの側に国光宣揚会があった頃、塚口の道場にあったと思われる建立碑。
「昭和11年12月18日建立」とあります。
国光宣揚会を創設したのは戦前の元陸軍中将権藤傳次という人で、マストの側にある石碑にその名前が刻まれています。アジア歴史センターの資料によると、権藤中将は1933年の榛名の第二次近代化改装で不要になったマストを道場建築の記念行事に貰い受けたいと海軍省に願い出、昭和11年(1936年)7月7日に受理されました。海軍省は榛名の改装で出た廃品を、民間に無料で下付することにしたようです。マストは道場庭園で国旗を掲揚するためのポールとして使用されました。
戦後、国光宣揚会は解散したようで、マストも空襲で倒れたのか、誰かに引き倒されたのか、そこに雨ざらしになっていたようです。中林さんは、当時の難波八幡神社宮司だった上村さんのお父さんに相談し、1960年(昭和35年)、神社内に榛名のマストが移設されることになりました。マストの竣工式には、既に鬼籍に入っていた権藤中将の代わりに中将夫人が列席しました。
上村さんによると、この戦争遺産は海上自衛隊の記録にも載っているのだそう。戦後、艦名は海上自衛隊のはるな型護衛艦「はるな」に継承されました(1973年就役、2009年除籍)。解体された榛名の鋼材は戦後復興の礎として様々な用途に利用されたと言われています。「ですので、榛名の遺品はここにあるマストだけなんです」と上村さんは感慨深げでした。
注:Web版尼崎地域史事典『apedia』によると「県立尼崎病院の分院である塚口分院が1953年(昭和28年)に森宇野通(現南塚口町6丁目)に開設され、1974年(昭和49年)に県立塚口病院として独立した」となっています。この事実と上村さんの話を併せると、マストは塚口分院建設の7年後に移設されたものと思われます。
氏神様の役目は、地域の歴史を保管し未来に伝えること
難波八幡神社の御朱印
現在この神社に立っているマストは、今から93年前に作られたものになります。県会議員の中林さんは、恐らく難波八幡神社が武運の神様である八幡様をお祀りしていることから、上村さんのお父さんに榛名のマストを託したのでしょう。難波八幡神社以外にも、阪神沿線のあちこちの神社仏閣に砲弾や錨、戦闘機のプロペラなどの戦争遺産が奉納されています。地域の人々が過去の歴史を大切にしてくれたことで、後の世代であるやまさん達もこうして榛名という船のことを知り、その勇姿を偲ぶことができます。
【難波八幡神社】アクセス
阪神尼崎駅北口下車
阪神バス(阪急塚口方面行き)乗車 東難波町3丁目下車すぐ
または駅から徒歩16分
【参考】
兵庫県神社庁HP 難波八幡神社
HP依代之譜 帝國陸軍現存兵器一覧 難波八幡神社 戦艦「榛名」のマスト(後檣トップ)
川崎重工業株式会社HP 川崎重工の歴史
戦艦榛名/川崎造船所 ウィキペディア
同人誌即売会「神戸かわさき造船これくしょん」に行って来ました
2013年から配信されている「艦隊これくしょん」という育成シミュレーションゲーム。ミリタリーマニアや戦史好きの間で殊に人気があります。「榛名」がこのゲームに出てくるキャラクター、通称「艦娘(かんむす)」の一人であることから、最近は全国の艦これファンが、遠方から榛名のマストを見学に訪れるそうです。その「艦隊これくしょん」をテーマにした同人誌即売会「神戸かわさき造船これくしょん」が8月15日、ポートアイランドの神戸国際展示場で開催されると聞き、行って来ました。
これは、重巡洋艦摩耶のレリーフのための木型だそうです。展示会の参加者が個人的に入手したものを、この日のためにわざわざ持って来てくれたのだとか。説明文によると、摩耶山天上寺に建立されている軍艦摩耶之碑の土台部分に嵌め込まれた鋳造レリーフの木型で、昭和59年頃に製作されたそうです。榛名と同じく摩耶も川崎造船所で製造され、映画「火垂るの墓」の主人公清太の父が艦長として乗艦していました。これを見ることができただけでも来てよかったなあと思いました。こういったイベントの参加者はコアな好事家ばかりで、思いもかけないようなテーマで独自調査をした自費出版本を制作しています。やまさんも思わずたくさん本を買ってしまいました。
会場にはたくさんの来場者が来ていましたが、スタッフの方が効率よく誘導したり、体温チェックや消毒をしたりなど、とても気を使っていたので、やまさんもスムーズに会場に出入りすることができました。また、会場内での会話や商品の受け渡しにも事前注意がされていました。来場者の皆さんもとても協力的で、きちんと距離をとって整列し、静かに並んでいました。今の時節、こういった大掛かりなイベントを運営するのは大変なことですから、艦これのファンの方達のこうした努力のお陰で楽しい時間を過ごすことができることに感謝です。
文/チアフルライター やまさん
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