沿線お役立ちコラム

楽しい大人の自由研究~灘大学受講レポート@新在家

灘区の灘区による灘区のための灘を究める市民講座、その名も「灘大学」

神戸の東南 ミカゲの隣
聳ゆる摩耶が嶺 われらが母校
われらが日ごろの 抱負を知るや
灘愛の精神 灘の独立
現世を忘れぬ クミンの理想
かがやく灘区の 行手を見よや
ナダダィ ナダダィ ナダダィ ナダダィ
ナダダィ ナダダィ ナダダィ

灘大学校歌 作詞:naddist)

 

神戸在住、チアフルライターのやまさんです。

 

灘区の後援により毎年10月から翌年3月にかけて計6回開かれる一風変わった市民講座「灘大学」。昨年初めてその存在を知ったやまさん、待ちに待った11月末、やっと受講することができました。

灘区を使った面白イベントの発信源、慈憲一さん

写真:今回の灘大学会場、松蔭大学会館。会場は毎回変わります。

 

灘区の歴史、魅力について学ぶ灘大学は今年で15期目を迎えます。発起人は「灘百選の会」事務局長の慈(うつみ)憲一さん。灘区生まれ灘区育ちの生粋の灘っ子慈さんは灘区に関する数多くの面白イベントに関わっており、灘区からほぼ出ることがないほどの灘loverだと言われています。

 

「摩耶山再生の会」事務局長として摩耶ケーブルや摩耶ロープウェーの維持保存活動、摩耶山リュックサックマーケットの主催、また水道筋商店街のガイドウォーク、神戸マラソンからコースを外された灘区、東灘区、葺合区を走る東神戸マラソンなど、灘区を元気にする面白企画を次々に打ち出しており、界隈の面白イベント好きの人々の耳目を引きつけています。



「灘百選の会」が主催する灘大学でも灘に関するトリビアを紹介する、多岐にわたる講演やツアーが開かれてきました。

灘大学生による自主研究発表会

今回の灘大学会場、阪神新在家駅からほど近い場所にある松蔭大学会館に約40名の受講者が集いました。

 

今回の講座は初めての灘大学生による自主研究発表だとか。発表者は二組。この日のために半年間かけて準備を進めてこられたそうです。

発表その1.「ウルトラセブン第15話」幻のロケ地探索

1966年に放送が始まった空想特撮シリーズ「ウルトラQ」
今もなお子供たちを含め多くの古参ファンを魅了してやまないウルトラシリーズ第1弾です。そのシリーズ第4弾である「ウルトラセブン」の14話・15話でなんと1週間に渡る大々的な神戸ロケが行われていました。

 

灘大学および灘区在住のファンによる解明により、ほぼ総てのシーンの撮影場所が明らかになりましたが、今回の発表では唯一どうしても分からなかった「アマギ隊員が本部と連絡をとっていた場所」の解明に迫ります。

写真:国土地理院の1967年測量旧版地図を使ってロケ地の詳細が説明されます。

発表者の武田康宏さんは東灘区生まれ。東灘小学校在学中にリアルタイムで「ウルトラセブン」を視聴したそうです。当時の学校通信「ひがしなだ」で行われた、全校生徒へのテレビ番組視聴アンケート結果でも「ウルトラセブン」は絶大な人気だったとか。

 

灘区内で撮影に使われた場所は摩耶埠頭、摩耶大橋、六甲ハウス、六甲トンネル、新六甲大橋、六甲ドライブウェイ。撮影の多くが灘区で行われていたことがわかります。武田さんは2年前に出版された『新資料解読 ウルトラセブン撮影日誌』という本を手がかりに、なんと10ヶ月もの長期に渡り、ロケ地と目される場所を丹念に見て回り、ついに「恐らくここが撮影場所であろう」と思われる地点にたどり着きました。それは…記念碑台の下、「六甲山ガイドハウス」の前、だそうです。

 

「灘大学」では「ウルトラセブン」のロケ地ツアーやトークショーが何度か行われており、そのロケ地ツアーの様子を慈さんがツイッターで実況したところ、そのリツイートがセブンのアンヌ隊員役を勤めたひし美ゆり子さんの目に留まり、2012年には「神戸ロケ地巡礼ツアー」にひし美さんと満田かずほ監督が同行し、ツアー後にお二人によるトークショーが、さらに2015年に開かれた第10期灘大学特別講座のトークショーにひし美さん、アマギ隊員役の古谷敏さん、そして幻のアンヌ隊員豊浦美子さんが登場するといった夢の共演が実現したそうです。

 

みなさんも是非「ウルトラセブン」14話・15話「ウルトラ警備隊西へ」を視聴してみてください。そこには52年前の神戸の姿が、今は無き六甲ハウスや完成して間もない六甲トンネルや摩耶埠頭、摩耶大橋の勇姿が切り取られています。

発表その2.銘酒「忠勇」をめぐる3つの謎

写真:発表者の紙谷さん。灘在住歴20年だそうです。

 

灘区水道筋にある「一燈園」という串カツ屋さん。お店では「忠勇」という今は亡き灘区にあった酒造メーカー若林合名会社が作っていた幻のお酒を出しています。

 

メーカーが存在しないにも関わらず「忠勇」が未だに作り続けられているのは何故?発表者である灘区在住の紙谷寛さんと中南義裕さんが灘五郷における酒造りの歴史を紐解きつつその謎を解き明かします。

写真右:発表者の中南さん。中南さんも慈さんと同様生粋の灘っ子です。隣で補足説明をする慈さんの頭には灘区の詳細地図がインストールされているようです。

 

紙谷さんと中南さんが家系図を辿ったところ、白鶴酒造の7第目当主 治兵衛尚成の姉妹じゅんさんが「忠勇」のメーカーである若林家に嫁いでいたことがわかりました。紙谷さんの推測では白鶴と若林家に姻戚関係があったことから、若林合名会社がなくなった後「忠勇」の醸造が白鶴酒造に引き継がれたのだろうということです。

 

紙谷さんによるとメーカーがなくなった後ブランドが他の酒造メーカーに継承されることは割とあるそうで、例えば西宮市今津の灘酒造で作られていた「金鹿」、多聞酒造で作られていた「多聞」が大関で、世界長酒造で作られていた「世界長」が沢の鶴で今も製造されているそうです。まさに灘における酒造の歴史絵巻を見る思いでした。

会場には来年の3月に開かれる灘大学第6講「灘映画学」の主賓である映画監督の白羽弥仁(しらは みつひと)さんも聴講に来られていました。

白羽監督は2015年に放送・公開されたテレビドラマ『神戸在住』、『劇場版 神戸在住』の監督をされた方です。監督は「忠勇」のメーカーである若林家の3代目にあたる方だそう。「灘大学」が繋ぐ人の縁と輪を垣間見ることができました。

「脚下照顧」を実践する「灘大学」

灘区のみならず他の地域からの興味・関心をも引きつけている「灘大学」。今回、慈さんだけでなく多くの灘区民や周辺地域の皆さんが地元に密着し、様々な角度から灘区の魅力を追求している様子がとても印象的でした。

 

関西在住の思想家・武道家である内田樹(たつる)さんが、著書やブログなどでよく引き合いに出される合気道のお師匠から聞いたという言葉に「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」というのがあります。元々は鎌倉時代の禅僧の言葉だそうで、「自分の足元をよくよく見よ」という意味だそうです。

 

わざわざ「何かすばらしいもの」を求めて遠くを探し回らずとも、そういったものは自分が住んでいる場所、普段何気なく通り過ぎている場所にいくらでもあるんだよ。それを自分の目と手と足で掘り出すことが大切だよ。今回の講義ではそんなことを教わったような気がしたやまさんでした。

 

【参考】

HP KOBE 灘区 灘をマナぼう。灘でマナぼう。第15期灘大学開講します

naddist note 第15期灘大学開校

摩耶山を楽しむポータルサイト mayasan.jp

第16回東神戸マラソン

HP光跡 ウルトラセブンロケ地リスト

全国日本酒の口コミ・評価サイト 日本酒物語

コミックナタリー 「神戸在住」ドラマ化&映画化、震災から20年の1月17日に

 

文/チアフルライター やまさん

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