「和船の活躍した時代」展
こんにちは。チアフルライターのやまさんです。
現在阪神深江駅にある神戸大学海事博物館では「和船の活躍した時代」展を開催中です。和船とは日本独自に発展した船です。その中でも江戸時代から明治時代にかけて活躍した北前船について、博物館の特別専門員である溝下さんにお話をうかがいました。
日本にわずか2校しかなかった船員教育の大学
今回やまさんが訪れたのは神戸大学海事博物館。深江の大学キャンパス内に博物館があることをご存じない方も多いでしょう。意外に思われるかもしれませんが、博物館のある大学は日本各地に存在します。深江にある神戸大学大学院海事科学研究科・海事科学部もその一つです。
当学部は海洋を含め多岐にわたるテーマについて研究しているところです。その前身は神戸商船大学。この地は1917年の川崎商船学校に端を発し、神戸高等商船学校、そして神戸商船大学へと変遷を辿りつつ日本の船員の養成機関として重要な役目を果たしてきた場所でした。
かつて日本に存在した高等船員を育てる専門機関は東京の東京商船大学、そして神戸商船大学のわずか2大学、全国に5校あった商船高等専門学校(鳥羽、広島、弓削、大島、富山)ですが、東京商船大学は2003年に東京水産大学と統合し東京海洋大学海洋工学部に、神戸商船大学は同じ年に神戸大学と統合して、キャンパスは神戸大学海事科学部へと引き継がれました。
現在海事科学研究科では多彩な研究分野を広げながらも、高等船員育成の役目も継続しています。この海事博物館はここが商船学校だった頃の訓練の様子や卒業生の記録を展示しており、当時の学校の姿を知る記念館の役目を担っています。
北前船とは
北前船とは江戸時代から明治期にかけて、蝦夷地(北海道)から日本海沿岸や瀬戸内海・大阪にかけての「西廻り航路」で活躍した廻船のことです。関西の人々は北前船と呼んでいましたが、北陸地方ではバイ船と呼ばれました。それまでは「東廻り航路」を利用した菱垣廻船・樽廻船が主として大阪~江戸間の物資輸送を担っていました。
海運業は陸路を通る飛脚などに比べ、より早く大量に貨物を運ぶことができます。これまでの大阪→江戸→蝦夷(北海道)廻り航路に加え、大阪→山陰→北陸→蝦夷廻りの新たな航路が増えたことにより日本海沿岸もまた経済的・文化的発展を遂げることになります。
西廻り航路・東廻り航路を開拓したのは車引きから身を起こし、後に幕府の御用商人となった河村瑞賢です。瑞賢は航路開拓事業のほか、大阪の淀川を始めとした下流一帯の治水工事、全国各地で治水、灌漑、築港、開墾、鉱山発掘事業を実施。江戸時代のインフラ整備に尽力した功績により晩年には旗本に取り立てられました。
北前船のはじまり
写真:西日本の海図
日本海側では、それまでの若狭湾→琵琶湖→淀川を経由して上方へ至る運輸経路から、近江商人が北陸の船乗りを雇入れ、蝦夷地・東北から一気に山陰・瀬戸内を経由し上方に至る「西廻り航路」を開き、上方ではこの西廻り航路を通る廻船を「北前船」と呼びました。
北前船が登場するまで市場はほぼ近江商人に独占されていました。彼らは積み荷を運ぶのに共同で船を仕立て、北陸の船乗りを雇っていました。その北陸の船乗りの中から、お金を貯めて自分の船を購入し北海道の産物を大阪で売る人たちが現れます。彼らは自前の船を持ち、江差や函館、大阪の商人問屋と直接取り引きすることで近江商人から独立を果たします。
北前船が最も活躍したのは江戸末期(1800年代)から明治初期。意外なことに昭和30年頃まで稼働していたそうです。江戸幕府が倒れ、日本の法制度が曖昧になっていた転換期。北海道の松前藩の政策によりそれまで立ち寄ることが許されなかった港への出入りが可能になり、取引量が一気に拡大しました。時代の変わり目のどさくさに乗じることで、北前船による大航海時代が訪れました。
動く総合商社、北前船が運んだもの
写真:逆針(さかばり)磁石 江戸時代に使用された。現在の羅針盤
北前船は様々な物資を運びましたが、単なる海運業者としてではなく、港々で格安で仕入れた商品を需要の多い土地の港で高く売ることで儲けを得ました。その代表格がニシンかす、イワシかすです。江戸時代中期、人口増加による開田が盛んになり、ニシンやイワシの絞りかすが良い田圃の肥料として利用されるように。江戸時代、ニシンやイワシから採れる魚油は当時高価だった菜種油や蝋燭の代わりに照明用の燃料として使われていました。一方でニシンやイワシは北陸地方沿岸でしか獲れず、その絞りかすはタダ同然で購入することができました。
また、この時期、麻に代わって綿の衣類の需要が増えましたが、綿花は気候の温暖な関西以南でしか栽培できなかったため、北陸地方・北海道で綿は希少品として古着や端切れさえ高値で取引されました。こうした商品価格の格差情報を北前船の船主たちは自前で入手しそれを利用して莫大な利益を上げました。
その他にも北前船は日本海沿岸・北海道から上方(京都・大阪)や長崎へ、逆に上方から日本海沿岸・北海道へとあらゆる物資を運びました。上り船では俵物と呼ばれる干したアワビ、なまこ、フカヒレや昆布が長崎や上方へと運ばれ、昆布は遠く中国大陸の内陸部でバセドウ病という病気に効く薬として利用され、上方では昆布だしとして庶民にも広まり、関西に和食の味の基本として定着しました。一方で下り船には陶磁器、漆器、蝋燭からお菓子や人形まで様々なものが積み込まれ、上方の文化を北陸地方へと伝えました。北前船は物資輸送の大動脈として、日本の北の文化を南へ、南の文化を北へと運ぶ文化交流の役目も果たしていたのです。
1航海で莫大な利益
写真:「船底板子一枚下は地獄」 日本海側沿岸は太平洋沿岸に比べて海が荒れやすく、難破する船も多かったとか。船が難破したものの辛くも生還した船乗り達が神社に奉納した絵馬も展示されています。
北前船は千石船とも呼ばれました。千石船とは「米を1千石(150トン)積むことができる大きさの船」という意味です。北前船には最大2400石積みの船もあったそうです。1500石積みの船で1航海で1000両、現在の価値にして約1億円もの利益を上げました。
通常北前船は毎年4月~5月に大阪を出航し10月~11月に帰港しました。北前船の寄港地であった北陸地方には北前船で巨万の富を得た豪商が建てた番屋があり、総漆塗りなどの贅を尽くした建物の一部が記念館などとして公開されています。北前船の発展により北陸地方の経済は大いに潤い、また多くの船乗りとなる人材を育成し世に送り出しました。
裸一貫から巨万の富を築いた商人、高田屋嘉兵衛
写真:左上の横長の板に描かれたもの、何だと思いますか?これ、船の図面だそうです。江戸時代の船大工はこの図面1枚を見るだけで船の建造ができたそうです。当時の船大工はこの「板図」1枚で建造するのが普通で、詳細は船大工棟梁の頭の中に全て入っていました。
北前船で巨万の富を築いた人物の中でも関西で最も有名なのは、司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の高田屋嘉兵衛をおいてほかにないでしょう。高田屋嘉兵衛は淡路島出身、淡路島で多く生産された瓦を運ぶ瓦船の炊(かしき:炊事係。船乗りの中で最も下の身分)から身を起こし、船持ち船頭となり、兄弟を呼び寄せ家族経営の会社を起業、兵庫と函館に本社を持つまでに立身出世しました。
嘉兵衛は後にゴローニン事件に巻き込まれ、日本・ロシア間の人質返還交渉に奔走しました。嘉兵衛は後年地元淡路島の公共事業に尽力し、穏やかな晩年を送りました。淡路島には現在も嘉兵衛の子孫が暮らしているそうです。
会場には嘉兵衛が28歳で初めて自前の新造船として購入し高田屋を立ち上げた「辰悦丸」の模型も展示されています。
和船の衰退と洋船の台頭
やまさんが驚いたのは、北前船が昭和の初めまで使用されており、当時の写真が残されていたことです。北前船が最も活躍したのは明治時代、江戸幕府倒幕により船舶の入港制限が事実上無くなったことにより、船の各港への出入りが自由になったことによるものでした。ですが、和船の構造は元々幕府が他藩の反抗による海からの攻撃を危ぶんだことによる、非常にいびつなものでした。幕府は造船の際「帆柱の数は1本のみ」「西洋・中国式の船舶建造の禁止」など船の改良を厳しく禁じたため、人々は古いタイプの和船を内航専用のベザイ船という独特な形に発展させてきました。
しかし、明治時代に入り外国との貿易が始まると、船としては元々効率のあまりよくない和船から洋船へとあっという間にシフトしてゆき、日本は洋船の時代へ突入しました。こうして和船は人々の記憶から消えていくこととなったのです。
遙かな太古、太平洋の島々に暮らすポリネシア人は小さなカヌーに乗って大海に漕ぎ出し、東南アジア・東アジアといった広大な範囲の地域へと移住しました。もし江戸幕府が船舶の建造や航海に対して制限を設けなければ、海洋国である日本の船はもっとユニークで安全で航行性能の高いものになっていたのではないだろうかと、やまさんはちょっと残念な気持ちになりました。
神戸市で見学可能な北前船の構成文化財
現在日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」として日本各地の北前船ゆかりの地全38箇所が認定されています。
日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」とするもので、文化庁より認定されます。関西では京都府宮津市、大阪市、神戸市、高砂市、新温泉町、赤穂市、洲本市が該当します。
神戸市ではそのうち神戸大学海事博物館を含む7箇所で北前船に関する記念碑や収蔵品が構成文化財として見学可能です。神戸大学海事博物館で北前船に興味を持たれた方は、さらに全国の文化財を巡って江戸時代の海洋ロマンに思いを馳せてみてはいかがでしょう?
【情報】
企画展「和船の活躍した時代」
開催期間:2019年7月12日~2020年3月30日
場所:神戸大学海事博物館
開館日:月・水・金(長期休館日はHP参照)
開館時間:13:30~16:00
神戸大学海事博物館HP
http://www.museum.maritime.kobe-u.ac.jp/
【参考】
北前船KITAMAE 公式サイト
ブックレット:北前船38「荒波を超えた男たちの夢が紡いだ異空間 北前船寄港地・船主集落」の物語
小説『菜の花の沖』 司馬遼太郎
文/チアフルライター やまさん